バイエルン大公は、907年頃、バイエルンの在地貴族ルイトポルト家のアルヌルフがバイエルン地域を統合し、ドイツ王のコンラート1世からその支配権を承認されて成立した。947年、ドイツ王オットー1世はルイトポルト家の大公ベルトルトの死に乗じ、アルヌルフの娘婿でもある自身の弟ハインリヒ1世をバイエルン大公位につけた。
976年、ハインリヒ1世の子ハインリヒ2世(喧嘩公)は神聖ローマ皇帝オットー2世に対し反乱を起こした。結果ハインリヒ2世は廃位され、またバイエルン大公領から東部がオーストリア辺境伯領として分離させられた。ただしハインリヒ2世は後に復位している。
その後は、バイエルンがイタリアに進出する上での要衝であったこともあって、1096年まで大公位が1つの家に長く保持されることはなかった。
しかし1070年以降は、2度の中断があったもののヴェルフ家が5代110年にわたってバイエルン大公位を保持した。ハインリヒ12世(獅子公)は後にザクセン大公位をも獲得し、ドイツ国内の反ホーエンシュタウフェン朝勢力の領袖へと成長した。1198年には子のオットーはドイツ王位をも獲得する。しかしバイエルン大公位は1180年にヴィッテルスバッハ家に与えられ、以降同家が世襲することとなった。